5/27 旅立ち

2016.5.27 午前6時少し過ぎ、母が旅立ちました。

前日の夜、ある程度様子が安定しているので、私はいったん帰宅しました。

安定していると言っても酸素マスクをつけ、口は大きくあいたまま、目は半眼で見えているのかどうかもわかりませんでしたが・・・

帰宅して床についてうとうとしていたら夜中の3時半過ぎに姉から電話。

「血圧や心拍が段々落ちてるの・・・、来られる?」と。

もちろん行くつもりでしたが、その時間では電車もないので4時38分の始発を待ってでかけました。

 

病室に到着したのが6時ごろ。

血圧は上が50を切るくらいでした。

酸素マスクの上からまた風船みたいな袋をつけて酸素を送り込み、点滴では痛み止めを入れていました。

口は大きくあいて頭をのけぞらせるようにしてハァ・・・ハァ・・・と、ゆっくり大きく、そして苦しそうに息をしていました。

胸や肩も大きく上下して、やっと呼吸をしているという感じ。

目も薄く開いていますが、もう何も見えていなかったと思います。

最期の2日はほとんど言葉も発しませんでした。

 

そして、6時8分頃、目をカッと見開いて大きく息を吸ったと思ったら、モニターのグラフが一気に0を指しピーッと電子音を発しました。

徐々にグラフの曲線が小さくなるわけではなく、それまである程度山と谷を刻んでいたのが、一気に直線になりました。

最後の呼吸をするときに目を見開いてビックリしたような表情をしていました。

あの時に、だれか迎えに来たのかなぁ。。

 

モニターの数字が0になってすぐに看護師さんが飛んできました。

その時にまだ医師はいませんでした。。

 

モニターの数字がゼロになっても舌はちょっと動き、胸も何回か上下に動いて最後の空気を絞り出しているようでした。

そんな動きを少しした後、今度は本当に静かになって体の動きも停止しました。

 

20分ほどで医師が来て、死亡確認をしました。

早朝だったので医師はいなかったんでしょうか。

延命措置などはしないことにしていたので、医師が駆けつけることがなかったのか・・・。

 

瞳孔を見て、心音を確認して死亡診断されたのが6時28分でした。

 

私と姉で母の頭や腕をなでて、「よく頑張ったね」と苦労と努力を称えました。

 

20日の夜にせん妄状態なのか、大きな声で「いた~~い」「私はどこにいるの?」などと言ったのを皮切りに、状態がどんどん悪化していきました。

それまでは、お見舞いに行くと目をあけてゆっくりでしたが会話もでき、持って行ったフルーツも少し食べることができたのです。

21日の日中は多少安定していましたが、しゃべることが極端に少なくなりました。

言葉を発しても「ご主人は隣(のベッド)にいるの?」とか「結婚式は昨日だったの?」などと、ちょっと意味不明になってきました。

持って行ったイチゴをほんの少し食べましたが「もう、いい」と言ってすぐにやめてしまいました。

病院食もほとんど口にせず、おかゆをほんの1口くらいでした。。

 

痛みなのかなんなのか、胸をかきむしるしぐさをしたり、機器のコードを引っ張ったりと、イライラしている様子がうかがえてかわいそうに思いました。

 

22日の朝、医師が呼びかけても返事をせず、大声で呼んでやっと目を開く程度になりました。

「そろそろ会いたい人がいたら今のうちに会わせてください」と言われ、親戚などを呼んで会ってもらいました。

母の妹が呼びかけるとそれに応えるように目をあけ、「わかってる?」と聞くとこっくり頷きました。

私の子供二人も顔を近くに寄せると、わかっている、というように首を縦にふりました。

でも、ほとんど会話はありませんでしたね。

ただ、皆が帰る時に「また戻ってくるの?」と聞いていました。

それが最後のきちんとした意思表示だったかな、と思います。

 

その後、口をあけたままになって閉じなくなりました。

鼻から酸素を取り入れていましたが、それでもちょっと苦しそうで。。

「お父様、お母様」と母の両親を何度も呼んでいましたね。

子供のころに帰ったのか、両親がお迎えに来ていたのか・・・

「お父様、何か買ってきてここで食べよ」などと言っていたので、子供のころにどこかに出かけたのを思い出しているのかなぁと思いました。

このころは会話、というものはなく、一人で言葉を発している状態でした。

 

25日になると酸素マスクを取りつけました。

口は開いたまま、目も半眼になって見えていない様子で、このころは母を見るのがとてもつらくて・・・

ただ、まだ生きている、というだけの状態でしたね。

人間らしい言葉、表情、食欲、意思表示などはすでに失われていました。

私が行っても表情を変えることはなく、わかる?と言っても反応がなく・・・

 

1週間という短期間でこれほど人間らしさが失われるものか、こんなに衰えるものかと悲しかったです。

もうこうなったら以前の母に戻ることは絶対ない、と思えました。

なんでこんなことになったんだろう?とわけがわからない状態で。

この間まで話をしていたのに!ちゃんと答えてくれたのに!

私の母はどこへ行ってしまったんだろう?

目の前に寝ている母は別人の老婆、死にそうになっている患者・・・

こんなの母じゃない、と思いました。

 

呼吸を止めたときは、ほっとした気持ちの方が強かったです。

悲しさよりも、良かったね、楽になって。頑張ったね、お疲れさまでしたという気持ちでした。

 

母とは喧嘩したことも反発したこともありましたが、老境に入った母は穏やかで、何かあるとすぐに「感謝」と言っていました。

話し方もゆっくりになって、少し元気がなくなってきたのが哀しかったですが、それでもまだ母は十分に母でしたからね・・・

 

今はこの現実を受け止めるために精一杯な気がします。

 

 

 

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