手術後10か月の様子や感想

去年(2015年)の6月に手術をして10月になります。

ガンは手術すると弱ると言いますが、確かに…。

年よりのガンは進行も遅いから、手術しないほうがいいという人もいますね。
そもそも86歳になっていたら手術できない場合も多いでしょうし。

術後の経過はわりとよかったとは言え、下痢や便秘、多少の腹痛などはありました。
これだけでも年寄りにとってはダメージ大きいですねぇ。

一番変化したのは、足腰が弱ったことですね。
手術前は一人で電車に乗って通院したり、知り合いと喫茶店でお茶を飲んだりしていたんですけど、今ではとてもそんなことできません。

病院へは姉が必ず付き添っています。
家の前までタクシーに来てもらって、病院についたら車いすをタクシーまで運んで座らせるそうです。

それすらも足元がおぼつかなくて危なっかしいということだから、もうどこまで弱ったんだろうと思います。

2週間前に私が実家に寄ったときは、ダイニングの椅子にしばらく座って話もしていたんですが、それ以降はあまり起きてこなくなったそうな。

ほぼベッドに寝ていて、トイレと食事以外は寝ているそうです。

こうなると、病院に行くのも大変になります。
行ってまたされて診察を受けるだけでもうくたくた、よろよろだそうです。

この頃は携帯も切っているみたいで、メールしても返信がありません。
3月にお誕生祝を送ったときに返信がかえってきたくらいで、その後はメールしても読んでいるんだかどうだかもわかりません。

そういうことも面倒になってしまったんでしょうね。
以前はメールすると喜んでたくさん書いて打ってきたんですが・・・

全てが面倒になった、そんな感じです。

病院に行っても「私はもういいんです」と言うそうです(-_-;)
子供にも迷惑かけたくないので、と答えるんですね。

そして、先にあの世に行った友達が待ってるとか、彼女に会いたい、と言うそうで・・・

時々、朦朧としてあらぬことを言ったりもするみたいですね。
ボケているというより、半分あちらの世界に行っちゃってるみたいな感じがします。

私が行くと少し元気そうになるので、そういう刺激も必要なのかもしれないですね。
連休は子供も連れて顔を見に行く予定ですが。。

あと、主人の母も調子が悪いそうです。
もう90歳になりますが、今でも一人暮らしでできることは自分でやっています。

あまり人に頼らない人ですが、この間電話があって「時間があったら来て頂戴」ということで。
こちらも連休に顔を見に行こうと思います。

義母は体の弱い人でしたが、今となってはまわりの90歳よりシャンとしている感じ。
どこと言って病気があるわけじゃないし、まだ歩いて買い物にも行くんですね。

3年前に義父を送ったのですが、在宅で寝たきりになった義父を一人で見ていたのです。
なんかね、人生を家族のためにささげたという感じの人で、楽しいことがあったのかな、と思うこともあります。

実家は母と姉の二人きりで、姉も大変だと思います。
だんだん弱っていく母、以前とは様変わりしてしまった母といるのは気持ちも重たくなりますよね。
灯が消えたような家、と言ったらいいのか、あれだけにぎやかだった家族が徐々に先細りになっていくのは寂しいですね・・・

20年くらい前、私が小さな子供二人を連れて実家に帰ったころは、母もまだ元気でいろいろ料理をしたりして張り切ってました。
一緒に旅行したりもしました。元気な人だったので、70代くらいまでは何も心配していなかったんですけどね。

・・・と、どんどん話がずれていってしまいましたが、母が弱ったのは手術をしてからです。
今となっては手術しなければここまで急速に弱らなかったかなぁと思います。

最近は、脱水、貧血、黄疸が出ていて外見も弱った感じです。
私が行った2週間前よりまた一回り小さく、しわっぽくなってしまったとか。

皮膚もこするとボロボロ向けてしまうそうだし、これからは寝たきりに近くなるので床ずれも心配です。

今のところ、要介護1の認定ですが、ヘルパーさんはこれは1じゃなくて2だ、ということで、連休明けに2の認定に向けても動かないといけません。

もう一度、自分の足で歩いて好きな所に行って楽しい時間を過ごさせたいと思うのですが、無理をさせるのもいけないし。

母はもう現界での魂の役割はほぼ終えているということも聞きました。
でも、家族が頑張って、というから、その気持ちにこたえて生きながらえているということもあるみたいで。

犬なんかもそうですよね。
自分の寿命は受け入れているけど、飼い主が一生懸命世話してくれるから、それならもう少し頑張ろうということもあるそうです。

無理な延命をするつもりはありませんが、できればもう一度元気になってほしいという気持ちもあります。

徐々に体も弱って、食事もしなくなって、動かなくなって、灯が消えるように亡くなっていくのはある意味理想かもしれませんが、それを引き留めたいという気持ちも家族にはあるんですね。

90歳過ぎてもシャキシャキ歩いているお年寄りを見ると、どうしても、もう少し頑張って、という気持ちが出てきてしまうことがあります。

でも、徐々に弱るということは、周りに覚悟をさせる時間を与えているということにもなります。
家族はいろんな思いを持ちながら、いずれくる最期に覚悟を決めていくのかもしれないですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です