いよいよカウントダウンです

5/20の夜あたりからちょっとせん妄が出てきたというか、様子が変わってきました。
それまでは比較的落ち着いていて、主治医も「安定していて良かったですね、これが続くといいですね」と言っていました。それが確か5/19です。

そして、20日の夜から様子が変化し、会話もあまり成り立たなくなりました・・・

医師からは1週間は持たないでしょう、ここ2,3日じゃないかと思います、と言われました。

そして、「会わせたい人がいるなら今のうちに」と言われ、私は息子二人を連れてお昼過ぎに病院へ。

母の妹とその次男も来てくれました。

朝は呼びかけても答えず、大声で名前を呼ぶとかすかに目を開ける感じだったそう。

母の妹たちの方が先に到着したのですが、その時は目をあけてハッキリ認識できたらしいです。

私と息子たちが行った時も、手を振るしぐさをみせて「わかってる」と言いたかったようです。

話らしい話はもうできませんでしたが、「(ベッドを)起こして」とか、「寒い」とか片言はしゃべっていました。

長いセンテンスはもう話せなかったですが、夜になってちょっと席を外そうとすると「また戻ってくるの?」と聞いていました。

この言葉が唯一ちゃんとした文章でした。

 

やはり時々身の置き所がなくなるようで、胸あたりをかきむしるようなしぐさを見せたり、髪を手でくしゃくしゃしてみたりしていて見ていてもかわいそうでしたね。

こういう状態が続くなら早くいかせてあげたいと思いましたよ。

または、眠らせてあげたいと。

顔色は黄色く、黄疸も進んでいて、足などは真っ黄色。むくみもすごく、足首から下はパンパンです。

でも腕は骨と皮だけになっていて・・・

 

ガンはどの程度大きくなっているのかわかりませんが、肝臓、腎臓、貧血、脱水が進んでいて全身が衰弱していました。

抗癌剤などは使っていないので、痛みもほとんどないし、熱もありません。

ただ、今朝から食事は一切摂れず、点滴のみです。

食事ができなくなると死期が近いというので、本当にあと1日か2日だと思います。

 

頭をかきむしるようなしぐさを見ると痛々しいですが、それもずっと続くわけではなくすぐ眠りに落ちていきます。

数日前まではゼリーなどを美味しそうに食べていたし、冗談も言ったりしていました。

 

私が持って行った万華鏡を看護師さんに見せたら

「きれいね、○○さん(母の名前)や娘さんたちみたい」

と言われたと言って、嬉しそうに私に話していました^^

 

徐々に弱って、眠る時間が多くなり、話もしなくなり、食事も摂れなくなる。。

88歳という年齢を考えると理想的な最期かなとは思います。

 

ただ、母はもともと丈夫な人だったので、95歳くらいまでは生きられると思っていました。

もしかしたら100歳くらいまでもいけるんじゃないかと。

100歳くらいになったら寝たきりで、でも少しは食べられてゆらゆら眠るように穏やかに最期を迎えるんじゃないかなぁなんて思ってもいました。

それを考えると80代というのはまだ若いです。

あと10年か、少なくとも5年は行けると思っていたのでね。

ガンを90歳くらいで切除して、94歳になっても元気な俳人の話を聞いたりすると、いける、なんて思っていたんですけど。

ちょっと早かったな、という気もして、去年の手術後、落ち着いてきてからはあまり頻繁に母を見舞わなかったことを後悔もしています。

週に1度くらいは顔を見せてあげたかったなぁ。

もっとたくさん話をしてあげたかったなぁ。

元気でいられるのはそんなに長い時間じゃないことがわかっていたのに、自分の生活や仕事にかまけて実家から足が遠のいていたことを反省しています。

 

でも、視える人の話だと、母の魂はとても安らかな状態で満足している、ということなので、あまりくよくよしないようにしたいと思っています。

88歳はやはり大往生のうちに入ると思うし。

母の父は90歳、母の母は86歳で天に召されました。

母も88歳までよく頑張ったと思います。

そして、甥っ子にもとても愛されていて、「おばさま、大好きです、と伝えてください」というメールまでもらいました。

母は若くして未亡人になったり、戦争の引き上げで苦労しましたが、それでも幸せな人生だったのじゃないかと思います。

人は生きてきたように死ぬ、と言われていますが、亡くなり方を見ても立派に生きてきたと確信しています。

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