死への変化と死後直後の顔

亡くなった後の顔というのは人それぞれだと思いますが、これまでの経験から言うと、生前の顔とそれほど大きく変わった人はいませんでした。

祖父母、父、義父、知人・・・棺に入る前や入った後のお顔を拝ませてもらいましたが、生前の面影を強く残している方が多かったです。

病気で入院していたり床に伏している期間が長いと多少痩せたりしていましたが、顔が全然変わってしまうことはありませんでした。

父などはくも膜下出血で突然死だったので、まるで眠っているような顔でしたね。

祖父母も高齢だったけど、病院に入院していたころと同じような顔でした。

 

ところが、母は全く別人のようになってしまったんですね。

入院中にも携帯で写真を撮りましたが、死の6日前くらいまでは以前の母と同じ顔をしていました。

ところが、最後の4日くらいでドンドン顔が変わっていってしまったんですね。

鼻や口から酸素を入れたのが死ぬ4日前。このころから変わってきました。

口が開けっ放しになって頬はこけ、まるで半分死んでいるようでした。

視線は定まらず、視えている感じはしませんでいたね。

母がどんなふうに変わっていったのか、忘れないためにも記録を残しておこうと思いました。

すでにあいまいになっているところもありますが・・・

 

5/20(金) 

この夜から状態が悪くなりました。

夜中に「いた~い」「ここはどこ?」と大声で叫ぶようになり、大部屋にいられず夜中にナースステーションの前室に移されました。

姉が昼間に見舞った時は話もしていたということですが・・・

 

5/21(土)

お見舞いにいくと多少おさまっておとなしくしていましたが、以前のように話すことはなくなりました。

ただ、私が行くとわかったようで、首を縦にふったりしていました。

でも、調子がいいという感じではなく、頭をかきむしったり、胸をかきむしったり、ベッドの横のコードを引っ張ったり壁をたたいたり、ということがありました。

ずっとそうしていたわけではなく、時々思い出したように辛そうにそんな動作が表れていました。

「どうしてここだけこんなに寒いの!!」と叫ぶこともありました。

私に向かって「ご主人はそちらにいるの?」「結婚式は昨日だった?」などと、口調はまっとうだけど、言っている内容はおかしくなっていました。

ただ、帰ろうとすると「またくる?」などと言って正気に戻ることもありました。

身の置き所がないような辛さがかなりあるようで見ている方もつらかったですが、私が持って行ったイチゴをほんの二口食べてくれましたがすぐに、もういい、と言って食べるのをやめましたね。

この日が自分の口で食べた最後になったのかな。。

ただ、辛いながらも「頑張る!」と言ってくれました。

この日を境にしゃべることも少なくなり、あとはうわごとだけになっていきました。

 

5/22(日)

朝、意識レベルが下がってお医者さんが大きな声で名前を呼ぶとやっと反応する程度になりました。

その医師は、あと数日、と私たちに言い、会いたい人がいれば今のうちに、と言うことで、私の息子二人とおば(母の妹)、そして叔母の息子がお見舞いに駆け付けました。

叔母を見ると目を少し大きく開いてこっくり頷いていましたね。

息子たちが手を握るとわかっているようでしたが、話すことはありませんでした。孫が大好きな母が何も言わないというのは悲しいものがありました。

息子たちもただ手を握り締めるだけでほとんど言葉になりませんでした。

この日はまだ顔は母のもので、病んでよわよわしくなっているものの自分で呼吸をしていました。

 

5/23(月)

この日は私はお見舞いに行きませんでした。

前日とあまり変わりがないということで姉が一人でお見舞いに行きました。

 

5/24(火)

すでに食事は断っており、点滴で命をつないでいました。

この日から個室に移してもらいました。

顔を近づけて「○○だよ」というとこっくり頷くこともありましたが、一日中ぼんやりした感じになりましたね。

目はあいていましたが、半分寝ているような気もしました。

「やきそば!」と大声で言ったりしてまわりがビックリしたり・・・

そして「お父様、お母様」と言い出しました。この日までお父様、お母様という言葉は聞かれたなかったのですが、急に言うようになりました。

娘である姉と私でもなく、孫たちでもなく、「お父様、お母様」と何度も何度も叫んでいました。

夢を見ていたのかもしれませんね。。

「お父様、何か買ってきてここで食べよ^^」と子供みたいに言っていました。

会話らしい会話はほとんど成り立たず、姉の顔を見てわかっているよというように、ほんの少し首を縦にふるのが精いっぱいだったみたいですね。

この日は義母の家にちょっと寄ってから病院に行きました。

今思うと、母の魂も私に乗っかって義母に会いに行ったんじゃないかなぁ。最後のお別れに行きたくて、私を義母の家に向かわせた気がします。

何しろこの3日後に亡くなるわけですから。

 

点滴の管を握ったり、胸をかきむしるようなしぐさをしたりが目立ちました。

すでに体液が腕や足から漏れ出していて、腕に紙おむつを巻いていて異様な光景でしたね。

生きているのにすでに体の機能が停止し始めているみたいで。

母の顔に近づいて匂いを嗅いでみましたが、人間らしい匂いはすでにせず、死者の香りがしてきました。

この時、ああ、もう少しで逝くな、と思いました。

でも顔はまだ母のもので、弱弱しくなったとはいえ大きな変化はありませんでした。

 

5/25(水)

この日はお休みさせてもらいました。

姉に確認したところ、大きな変化はないということで・・・

やはり、お父様、お母様と呼んでいたそうです。

 

5/26(木)

そろそろ本当に残りの命がなくなってきて、病院に泊まり込んでもいいと許可が出ました。

ただ個室はとても狭く付き添いが泊まるのが難しいので、広い特別室に移してもらいました。一泊5万円ちょっとしましたが、最期だからということで。

お金持ちのお嬢様として育った母にふさわしい最期を上げたいというのもありましたね。

この日は夕方にお見舞いに行ったのですが、口に酸素マスクをつけていて、口はすでに大きくあいたまま、肩で大きく息をしていました。

血圧や心拍は比較的安定しているようでただただ息をしてひたすら命をつないでいるようでした。

目はうっすらあいていましたが見えていなかったんじゃないかな。私たちを見ても何も反応せず、しゃべることももうありませんでいた。

今夜あたり危ないかも、ということで夜遅くまでいましたが、いったん私は帰ることにしました。

顔はげっそり痩せて酸素吸入をする母はちょっと見、母とわからない感じでしたね。目の横の肉が落ちくぼんでいて頬っぺたもげっそり。顔色は黄疸のため黄色くなっていました。

夜遅く、また来るね、と言っても何も反応せず・・・

 

5/27(金)

夜中の3時半ころ、姉から「血圧が下がってきたので危ない」と電話があり、明け方に病院に向かいました。

顔はさっきと同じようで、マスクをしながらの呼吸が苦しそうでした。

主治医に「楽にしてください」と前の夜に頼んでいたので点滴から送る痛み止めは増えていたのですが、表情を見ると苦しそうでいた。

私が到着したのが6時頃で、それを待っていたように6時8分ころに一気にモニターの波形がなくなってご臨終を迎えました。

少しして酸素マスクを外して母の顔をまじまじとみましたが、かなり肉がなくなってしまって細く小さくなっていました。

その後、看護師さんに清拭をしてもらって母の顔を再び見ましたが、この時にビックリだったのです。

入れ歯を入れてもらっていましたが、その顔は母とは別人!

骸骨みたいな男みたいな、黒ずんだ顔の知らない人がそこに横たわっていました。

輪郭も何もかも母の面影が一つもなかったのに軽いショックを受けましたね。なので、悲しさも湧いてこないというか、戸惑う気持ちの方が強かったです。。

 

朝早い時間に亡くなったので、朝8時過ぎには葬儀会社に安置されました。

病院では入れ歯を入れた口はあいていましたが、葬儀会社の人がお口を閉じてくれて少し元の母の顔に戻ってきました。

どす黒い顔の色が白く変わってきて安らかな顔になってきたので少しほっとしました。

ただ、元の母になったかというとそういうわけではなく、痩せこけた顔に鼻の高さが目立っていました。

確かにガンは患っていましたが、抗がん剤を使ったわけでもなく、食事も少しできていたのになぜここまで痩せて老いさらばえてしまったのか・・・

増殖するガンの勢いで命を奪われたのではなく、腎臓や肝臓の機能が奪われ生きながらにして死んでいったということなのかもしれません。

数値的にはもう生きているのが不思議、と言われていたので気力だけで生きていたんでしょうね。その生命力というか執念はすさまじかったのではないかと思います。

私たちに寂しい思いをさせないように、自然に逆らってまで命をのばしてくれていたのかもしれません。

もっと早くに楽に死なせてあげればよかったかなぁという気持ちもします。

 

最期に母の顔を見たのは告別式が行われた6/1でしたが、お化粧をしてもらって顔の色は白くしてもらったものの、顔の細さや衰えは隠すことができなかったですね・・・

生前の母の顔に戻ることはなく、別人のような顔で旅立ちました。

ただ、苦しそうな顔ではなかったことがまだ救いです。

 

最期だから写真に収めておこうかとも思いましたがやめました。

母の顔は5/26に撮ったものが最後になりました。

 

身内と比べても顔の変化が激しかった母・・・、最期の数日はものすごく苦しかったのかなぁと今でも心が痛みます。

いつか母に会ったら聞いてみたいと思います。

でも今は痛みから解放されて自由になった母なので、「もう、あんな顔は忘れて! 今はすごく幸せで気持ちいいんだから!」と言われそうです。

父はちゃんとお迎えに行きましたか?

お父様お母様とは無事に会えましたか?

ずっと言っていた親友にも会えましたか?

もうこの世よりあちらの世のほうに親しい人が多くなっていたので、今ごろ楽しく過ごしているでしょうね。

最期の数年は体調も悪く、生きているのも辛いことが多かったけど今は肉体の辛さもすべて消えているでしょう。

私はあなたが楽しんで輝いていた60代をあと数年で迎えます。

義母も、60代が一番楽しかったわ、 70代になると体がついていかないことがあるけど、60代はまだまだ若いからあなたもこれからね、と言っています。

きっと励ますつもりもあるでしょうけど、あなたは確かに60代、楽しそうで輝いていました。

私も楽しい充実した60代を迎えてうんと謳歌することがあなたへの報いになるのかもしれないですね。

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